中部教育学会第47回大会 公開シンポジウム

『新しい荒れ』−今日の少年期をどうとらえるか

日 時 ; 1998年6月27日(土) 午後2時〜5時
場 所 ; 愛知教育大学 本部3階 第一会議室
司 会 ; 折出健二(愛知教育大学)、山本理絵(愛知県立大学)
シンポジスト;
 教職・教育相談活動を通して 佐藤雅年(愛知教育大学教育実践総合センター)
 臨床心理の立場から     加藤幸雄 (日本福祉大学)
 医療の現場から       原千賀子(協立総合病院高畑診療所)
 教育学の立場から      百々康治(中京女子大学)

【内容】
 少年期ーそれは、文字通り、若く未熟ではあるが可能性を秘めている時代です。集団化と孤独、甘えと反抗など相反する面をもちながら、自分探しを繰り返し、若者へと成長していく過渡期と言えます。
 ちょうど1年前の「神戸小学生殺傷事件」のショックがおさまらない内に、今年の1月には栃木で中学生がナイフで教師を刺殺する事件が起こりました。こうした一連の動きをとおして、「普通の子がキレる」とか「まるで地雷のよう」などと、少年期の攻撃性や犯罪性を特徴づける風潮が強まっています。ことは少年法の改正論議にまで及んでいます。
こうした事態は全国に共通しており、「新しい荒れ」と呼ばれています。ただ、その「新しさ」については意見の分かれるところです。「キレる」という点では、すでに60年代から「思考回路が切れる」などの問題指摘があるといわれていますし、攻撃性については、1980年代の前半にこの東海地方でも頻発した校内暴力が、わたしたちの記憶にまだ鮮明にあります。
 では「新しさ」は間違いなのでしょうか。
 よく見ると、「荒れ」の発生する舞台が急変しています。かなりの子どもが少年期らしさをもてないで育っていること、学校では個人丸ごとの競争関係が日常化していること、そして家庭も巻き込んで地域社会の対話や共同が大きく崩れかけていること。他方、産業の空洞化、構造的な不況のもとで大人の生活不安は拡大し、子どもへの共感や援助など自立を支える関係がきわめて弱くなっていることも見落とせません。
 こうした事を背景に、いつ、誰が、突発的な攻撃行動に出るかわからない、とされる状況が事実あることを、まず直視すべきでしょう。問題はそこで子どもたちが何を問うているのか、です。ある中学2年生は栃木のナイフ事件について次のように書いています。
「 なぜこの人がナイフを持っていたかは分からないけれど、『刺してやりたい』って気持ちを持ったことはたくさんある。(中略)学校も家も昔は楽しい所だったけれど、今じゃ来ても意味ない、つまんない、ムカツク、やってらんない。こんな勉強というちっぽけなものが一番大切って先生とか言うけど、本当に一番大切だったらつまんない大人になりそうでイヤ。(中略)なんか今どこにも自由がないって気がする。楽しいことよりつまんないことが多い」
このような少年期の異議申し立てをどうとらえるのか。また、からだとこころのアンバランスについても、いま、どのような見方と関わりが求められるのか。
 これらの焦眉の課題について、臨床心理、医療、教育相談、教育学の立場からの意見を受けて、皆さんも、ご一緒に考えてみませんか。
  会員参加費;1000円
  一般参加費; 500円

連絡先 ; 愛知教育大学 教育学教室
     山口研究室 0566-26-2286
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